日本のライフセービングの歴史
ライフセービングの歴史は長く、17世紀から18世紀にかけて、オランダ、フランス、イギリスが近代ライフセービングを始めたとされ、1910年には欧州にライフセービング国際組織であるFIS/現在の国際ライフセービング協会(ILS)が設立されました。
そして日本でライフセービング活動が活発になり始めたのは、戦後となっており世界から遅れたスタートとなっています。
しかし一人の男の熱い思いが、世界に引けを取らないより最先端な技術と知識を生み出し、粛々と受け継がれ日本におけるライフセービングを具現化させたのです。
日本国内では赤十字とライフセービングの関わりが深い
日本のライフセービングの歴史では、日本赤十字との関係がきっても離せないといえます。
なぜなら、日本赤十字の安全法「水上安全法」「救急法」「家庭看護法」の内の水上安全法が現在のライフセービングの内容が元になったからです。
この「水上安全法」「救急法」「家庭看護法」は、日本赤十字の職員だった小森栄一さんが、米国赤十字極東本部安全部長を努めていたW.Tレーニー氏から学んだ内容を元に考えられたものです。
元をたどっていくと、米国の赤十字の救急法の教授から影響され、日本赤十字で水上安全法ができ、日本のライフセービングが誕生したということになります。
そして小森さんは、「水上安全法」「救急法」「家庭看護法」をより完成形を目指し、3法の完成度は非常に高く、世界のライフセービングの最先端を行くレベルだったといいます。
救急法救急員有資格者は徐々に増えていき、信頼も厚い資格でした。
当時はライフセービング法という言葉は使わなかった
またこの頃はまだライフセービングという言葉が正しく浸透しないのではないかと小森さんは懸念していたようです。「Life saving」という言葉は直訳すること、命を救うという意味合いになります。しかし小森さんは「命を救うことがライフセービングの真髄ではなく、予防することを含めライフセービングだという思想」がありました。
だからこそ、ライフセービング法という言葉を使わず、あえて”水上安全法”という言葉を選んで指導にあたっていたようです。
日本国内でのライフセービングのきっかけの地は湘南/小森さんの意思は次の世代へ
1961年に、片瀬海岸でライフガードクラブが結成され、藤沢市片瀬西浜海岸の海水浴場で救急法救急員有資格を持つスタッフをアルバイトとして採用し始めました。
このアルバイトの方々は、”ライフガード”と呼ばれ、この”ライフガード”こそが現在のライフセービングの形がより具現化したきっかけとなるものでした。
また”ライフセーバー”ではなく”ライフガード”と呼ばれるのは、本来であれば、ライフガードすなわちプロフェッショナルという認識が一般的ですが、プロフェッショナルではないアルバイトの方々を”ライフガード”と呼称した理由には、アマチュアでもプロフェッショナルと同様の誇り、クオリティをもつという願いが込められていたのではないかと言われています。
当時のスタッフの警備長は今日の日本ライフセービング協会初代会長の金子邦親さんでした。金子さんは、現場から離れつつあった小森さんの水上安全法の指導を仰ぎ、片瀬西浜のライフガード達は技術や知識をアップグレードし続けていました。
そして、水上安全法を習得したライフガードを中心に湘南ライフガードクラブが結成されました。
このクラブを始めに、湘南指導員協会、日本サーフライフセービング協会、日本ライフガード協会など多くの組織が発足し、1991年には日本ライフセービング協会(JLA)ができました。
日本ライフセービング協会ができて間もなく3年後の1994年にライフセービングの国際組織である国際ライフセービング連盟(ILS)に公式なライフセービング協会として承認され、2019年4月1日に公益財団法人として認められたという形になります。
現在のライフセービングの活動を統括しているのが、この公益財団法人日本ライフセービング協会です。
日本ライフセービング協会の前身
日本のライフセービングの中枢である日本ライフセービング協会。この協会が発足する際、2大団体がありました。
- 1977年発足/日本サーフライフセービング協会(SLSAJ)
- 1983年発足/日本ライフガード協会(JLGA)
この団体が合併する前は、日本ライフセービング評議会(JLSC)として活動しており8年後の1991年に合併し、日本ライフセービング協会(JLA)として活動するようになりました。
日本サーフライフセービング協会(SLSAJ)とは
遠藤義晴さんを中心に15名ライフガードが発足した組織です。カリフォルニア州の研修遠征に行き帰国した後に東京日本部を置く日本サーフライフセービング協会を発足し、伊豆を活動拠点の中心として活動しました。
日本ライフガード協会(JLGA)とは
日本サーフライフセービング協会とは、活動拠点が異なる団体で、湘南を拠点に活動していました。日本ライフガード協会は、ボランティア活動であっても水難救助のプロとして認知されることを願って命名されました。
日本サーフライフセービング協会(SLSAJ)のほうが早めに発足し、ワールドライフセービング(WLS)という世界各国感のライフセービング組織の相互交流を目的として国際団体に加盟しておりました。
最終的には一本化へ
日本からは、日本サーフライフセービング協会と日本ライフガード協会の2団体がワールドライフセービング(WLS)に加盟していましたが、WLSの会長であるG.スタントン会長より日本の窓口を一本化してくれないか?…とお達しがあり、国内で慎重に協議をした結果窓口を一本化することにしました。
そこで、一旦評議会という形で2組織で評議会を発足したのが日本ライフセービング協会誕生の先駆けです。そして前述したとおり、1991年に2組織が合併し日本ライフセービング協会が発足したのでした。
日本におけるライフセービング競技
ライフセービングという概念が日本に導入されたのは、小森さんが米国の赤十字の技術を学んだことをきっかけに日本で日赤水上安全法が編み出されたことがきっかけです。そこからライフガードクラブが発足しライフセービングクラブから団体が派生しました。最終的には一本化するという流れになります。
一本化され日本ライフセービング協会が発足しましたがライフセービング活動自体は当然行われていました。そして救助を主眼において模擬訓練、模擬活動も行われていました。
では具体的にどこの時点でこの模擬訓練などが競技として認められ、ライフセービングの競技が始まったかというと、日本ライフセービング協会発足が起点なのか、小森さんが湘南でライフガードクラブを立ち上げたところが起点なのかははっきりしていません。
しかし通説では、湘南指導員協会が企画、主催した鎌倉の材木座海岸で開催された「1975年開催:第一回ライフガード大会」が日本のライフセービング競技の始まりが妥当ではないかと言われているようです。
当時、道具は一切使用しない競技だった!?
ライフセービング競技が正式に行われるようになった1975年時点では、ライフガードに求められた技術を主眼においた競技が主流となっていたようです。
- ファイヤーメンズキャリー(すなわち肩車)
- スリーメンズキャリー
- 複合リレー
などが行われており、レスキューチューブ以外は一切使用せず、己の身体だけで被救助人を運ぶという、素手で救助を競うものが中心だったようです。
現在は、ボードや、サーフスキーなどが利用されているので以前とは形態が異なることがわかります。
実際海での救助となるとレスキューボード等といったクラフト類があることが当たり前になっているので、これらの競技が加わることでより実践を意識した競技と進化してきたということがわかります。
競技ができた理由
競技ができた理由は模擬救助の意味合いもありますが、当初は、技術や体力を鍛えることに対するモチベーション維持のため。 また他者と競い合うことが救助力を向上させる近道であるということが多くのライフガードの中で感じられていたのだと思います。
まとめ
現在のライフセービング活動の中枢である日本ライフセービング協会。この協会ができるまでには多くの紆余曲折があり、日本におけるライフセービング活動の発祥の地は湘南。
そしてライフセービングの理念や救助法は米国の赤十字から学んだ日本赤十字の社員、小森さんが考え出したものが起源となっています。
一人の男の熱意が現在のライフセービング活動の起源となっていると知るとゾクゾクしますね。
参考文献
ライフセービングと社会福祉(1997)学文社
著:千原 英之進
著:小峯 直総
著:深山 元良